時は世紀末。混沌とした時代に生まれた1頭のサラブレッド。孤独を背に”王道”を突き進むその姿は、強く、速く、何より美しい。そしてその気高さに全てが平伏(ひれふ)す。荘厳なオペラの歌声が響き渡る中、天は裂け、光は満ち、今ここに孤高の覇王「テイエムオペラオー」降臨!
テイエムオペラオー最大の武器。それは神から授かりし心臓だ。それは突然変異と言っても過言では無かった。オペラオーの心臓の大きさは競走馬の平均のなんと1.5倍。1回の拍動で送られる血液量は1.8倍。大きく強靭な心臓が極限の心肺機能を生み出すのだ。そして、上昇した心拍数を元に戻す副交感神経の働きは平均の2~3倍。疲労により体内に溜まる乳酸の量は通常より20~30%少なかった。つまりオペラオーは驚異的に疲れにくいタフな心臓と肉体を持っていたのだ。これを武器に長く王として君臨する事となる。
そんなオペラオーもクラシックは1冠に終わった。1999年皐月賞では後のダービー馬アドマイヤベガ、後の菊花賞馬ナリタトップロードを大外から豪快に差し切りG1初戴冠を果たす。しかし、続くダービーでは鞍上の早仕掛けにより3着、菊花賞では今度は仕掛け遅れにより届かず2着。鞍上和田竜二騎手のミス騎乗とメディアに叩かれた。当時無名の若干22歳の若者には荷が重かった。しかし、燻(くすぶ)っていたオペラオーの真の力は翌年、迷いを断ち切った鞍上と供に覚醒してゆく。
世紀末最後の年、西暦2000年。この年、1年に及ぶ長き間、覇王の統治が始まる。陣営から「今年は絶対に負けるな!」と檄が飛ぶ中、緒戦となる2月のG2京都記念で10力月振りの勝利。これを皮切りに、日本競馬史に残る快進撃が開始された。続く3月のG2阪神大賞典で重賞連覇を飾ったオペラオーは、4月のG1天皇賞春で勝利。6月のG1宝塚記念では永遠のライバルとなるメイショウドトウをクビ差で撃破した。さらに秋にはG2京都大賞典を快勝。そしてG1天皇賞秋、ジャパンCをいずれもメイショウドトウを2着に下し、これで7連勝を飾る。
しかし年間無敗記録まであと1勝と迫ったオペラオーに立ちはだかったのがG1有馬記念。勝利の女神が罠を仕掛ける。スタート直後からスローペースで馬群に包まれ苦しい展開。直線を向いても全く前が開く気配は無い。四面楚歌の包囲網。前との差は10馬身。もう無理だ。中山が悲鳴に包まれた次の瞬間、僅かに開いた”王道”、その間隙を突くように、馬群の真ん中をこじ開けて来たオペラオー。それは神々しい輝きを放った覇王の真の姿だった。ハナ差20cmの逆転劇。こうして、この年オペラオーは8戦8連勝、内G1、5勝のパーフェクトな成績を残した。そしてこれは史上初の古馬中長距離G1戦完全制覇となった。
絶体絶命の状況をも打破する驚異的な勝負根性、そして切れる上に息の長い末脚を繰り出す覚醒したオペラオーはもはや手がつけられない強さだった。
時は流れ、長く王として君臨したオペラオーにも幕引きの時は訪れる。永遠のライバル、メイショウドトウとの合同引退式。何という粋な計らいだろうか。実はドトウは2001年宝塚記念でG1初制覇を果たしている。奇しくも、そのレースが戦友オペラオーを2着に破った記念すべき悲願のレースだった。こうして、一時代を築いた2頭の名馬が、惜しまれつつもターフを去っていった。
テイエムオペラオー 生涯成績(14.6.3.3)
そして同時に、オペラオーは生涯獲得賞金18億3518万円の世界レコード保持者となった。この記録は今現在も破られていない。。
類い稀な心肺機能を武器に、長きに渡り王座に君臨してきたオペラオー。そんな彼が守り続けたもの、それは追いかけてくる者のいない孤独だったのかも知れない。孤高の覇王、テイエムオペラオー。哀愁のオペラの歌声が響き渡る中、今静かに幕が降りる。。
~完~
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